Kan.さんワークプログラム『秘すれば花』に参加して

3/5、タオ(道教)のクンルンネイゴンの継承者であり、世界中の秘教(エソテリック)を継承されているKan.さんのワークプログラム『秘すれば花』に参加しました。とても有意義な時間でした。気がつけばもう2週間以上経っていますね。その時のことを少し書きたいと思います。

全体を通して言われていたことは、やはり、物事には「表面的」なものと「本質的」なものの二つがあるとこと。どの世界にもそういった表面と本質はあり、本質は忘れられてきているが大事だということです。

例えば将棋の世界でいえば、藤井聡太さんは若くして、すでに素晴らしい実績を残されていますが、まだ「本質」の領域には入っていない、越えられていないとKan.さんは仰います。(正確にはクンルンを越えていないと仰っていました。)対して羽生善治さんは間違いなくクンルンを越えられていると仰います。別の言葉で、「まことの花」になっているとも言われました。まことの花の反対の言葉として、「ときどきの花」という言葉も言われました。つまり、華々しい活躍があっても、それがときどき咲く花のように一時美しいだけで、「まこと」の花としてずっと咲いているのかは分からないということです。言葉が難しい・・・。そしてまことの花とは、勝ち負け、美醜の世界を越えてあるもののようです。

人が自分の持って生まれた「まことの花」を咲かせるために、身体を普段から磨いておくことが大切です。Kan.さんは『問題は解決するな』や他の本の中でも書かれていますが、考える頭と感じるハート、動く身体、この三つをちゃんとすることが大事なのです。現代人は特に身体のことを蔑ろにする傾向がありますね。でも、身体がボロボロでまともな考えや感情が生じるわけないのです。

身体の整え方

それでは、身体の整え方についてKan.さんの話されていたことを少しだけ共有致します。Kan.さんも仰っていましたが、こうしたことがハウツー、方法論になってしまうと、それこそ表面的なものになってしまいます。そのため、ここに書いてあることを鵜吞みにせず、自分の身体に聞きながら実践されていくと良いと思います。

あくまで私の言葉になってしまっているのをご了承ください。腰に手を置くことを言われていました。その順序を書きます。

① 両腰に両手を置いて触り、感覚を味わい観察する。

② そのうちに触っている感覚が薄れていくので、また注意を払い触っている感覚を思い出す。

③ そのうち、腰が手を触っているように感じてくる。感覚の流れが腰から手へと反対に流れる。

④ その感覚を観察しているうちに、感覚が薄れていくのでまた注意して感覚を思い出す。

⑤ すると再び感覚の流れが反対になり、手が腰に触れている感覚に戻る。

⑥ ①~⑤が繰り返されていく。(腰が手を治癒している。)

言葉にしてしまうとこんな感じですが、やってみると腰が微妙に振動している、身体って振動しているんだなって気づきがあったり、腰と手がなぜか整えられていくような感覚があったり面白いです。この感覚の流れの向きは、はっきりと切り替わるものではないでしょう。思い込まずにただ観察して味わうだけで良いと思います。

これを月を見ながらやると、月と身体がコラボしていくとか。胃や腸、腎臓、臓器の漢字には「月」がついています。月と身体には深い関係があるようです。私はまだ何かを感じるほど実践できていないです。ちなみに話は逸れますが、占星術師のマドモアゼル・愛先生という方の、月星座が願望であるが自分にないものという「月理論」は個人的にとても人生の参考になりました。

気になること

他にも色々身体のことを仰られていましたが、ここに書くのはあまり意味を持たないでしょうからやめておきます。やはり、場を共有して、感覚を分かち合っていくワークを言葉で伝えるのは難しいです。ただ、他にもKan.さんは気になることをいくつか仰られていたので、私が気に留めたことを少し共有したいと思います。

一つは、2023年~2026年は殺伐とした時代になるということ。これは色々なことが考えられますが、私はやはり、一つには近年のウイルス騒動に関連する「被害」があるかなと思います。直接的なことは言いません。他には南海トラフ地震など、そろそろ大地震が来るような気もしています。また、国際的な戦争の可能性もあるでしょう。そして今の資本主義の枠組みに、少なくとも今のままでは限界が来ていることもあるでしょう。私もお金の発行の仕組みに関しては大学の時から疑問と嫌悪を持っていましたが、貨幣経済の崩壊や預金封鎖までいかないまでも、何かしらのことは起きそうです。お金以外の生活手段、今のお金とは異なる経済圏の重要性を感じます。

最後に

こう書くと、現状色々な問題があって気が滅入りそうですが、現実に起きていることは実際に起こっているわけです。そこに目をつぶって綺麗事を言うスピリチュアルを、Kan.さんは疑問視されています。ただ同時に起きている問題を解決しようとするのも、不自然な話なのです。問題があるのでなく、個人の在り方が問われているだけです。例えば、ある人がお金への不安があるとして、それが問題になるのはその人がお金を前提とした生き方をしているからです。「そうは言っても・・・」とよく人は言い訳をしますが、その問題を作っている前提は、社会や誰かの作った前提であることが多いです。お金は極端な例ですし、なければ困ることもありましょうが、今自分が問題だと思っていることは本当に問題なのか?問題だと思うその根拠は、その前提は、本当に自分で考えたのでしょうか?そうした問いを立ててみると面白いでしょう。一人一人が自分の中の「まことの花」を育てていけば、現実世界は学ぶべき貴重な場所になると思います。

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