失意の2024年後半
ずいぶん間が開いた。この間色々なことがあった。2024年、去年の夏に利尻島に行き、出会ったと人と遊ぶ中でその人に恋をして、その後失恋して…2行で書いたが、自分の中でまさしく「大変」、つまり「大きく変わる」できごとだった。
さて、去年の11月からは行かないつもりだったみかんの収穫の仕事に行き、12月まで働いた。一昨年の農家さんとは違う方のもとで働いた。一昨年は色々あったので。どうやら一昨年の農家さんは、僕ともう一人の働き手の友人の悪口を言っていたようだが、去年の農家さんにはとても評価された。今年も来るように言われている。みかんは楽しかった。色んな人、懐かしい人たちとも会ったり遊んだり。その中で失恋もしたが…

みかんの仕事をしていた愛媛からフェリーで大分に渡って、別府の街を知人たちと巡ったのも、とても楽しかった。無料の野湯も、開放的で泉質と良く、最高だった。

別府には年末までいて、仲間がいたお陰で明るく過ごしていた。ただ振り返ると、夏過ぎからずっと自分の中の感情に振り回されていたし、自分が自分でない感じもしていた。
急変の2025年
さて、今年(2025年)からは色々ほんとうに自分が望むことをしよう、望むところに身を置こう、そもそも自分がどうしたいか考えよう、とか年始から思っていた。
前から知っていた、村づくりをしている銀ちゃん(山納銀之助さん)の建設中の石垣島の村(絵本の村)の見学にも行った。

4月に、その銀ちゃんの主催する石垣島での洞窟サバイバルツアーに参加したかったが、抽選で落ちた。4/11から始まる予定だった。そして僕は4月から、とある地方の農村コミュニティ?的なところに、農業インターンとして参加していた。そんな中、農機具小屋の改築を手伝って、天井の垂木の上に乗ってトタン屋根を張る作業をしていたところ、落ちて背骨を折った。4/11のことだった。銀ちゃんのツアーに参加していたら、起きなかった。いや、もしくはそっちの方で何かの不運に遭っていたのかも。ちなみに4/11は仏滅だった。

・小話
スピリチュアル的?に面白いのは(面白くないが)、直前まで屋根で作業中に、もう一人の人と会話していた内容だ。当時は4月で、7/5に大災害が来るとかよく巷で?言われている頃だった。もう一人の人が、「今地震とか来たら、我々はヤバい。」みたいなことを言われたので、僕は「そうですね。でも骨折くらいで済むんじゃないですか?」と言った。そうしたら背骨の骨折で済んだ。あそこで「死にますね。」とか答えていたら、死んでいたのかも…
もう一つ会話の中で興味深かったことがある。僕がいたところは、農村コミュニティといっても、自然派、スピリチュアル好きな人が多い環境だった。一緒に屋根で作業していた人も、そういった世界に関心のある人だった。そこで僕は「三脈」の話をした。三脈とは、首の動脈と、両手首の動脈の三箇所の脈を同時に測るものだ。基本この三箇所の脈はズレることなく、同時に脈打つ。でも、災害や事故、事件、など、自分の身に危険が及ぶ24時間前になると、この三脈がズレて脈打つらしい。この三脈の脈診により、事故を回避した人もいるとか。動物とかが天災の前に移動したり異常な行動に出たりするのも、自分の脈の乱れをキャッチしているからなのかも。さて、僕は屋根上でもう一人の人に、この三脈の話をした。そして、実際僕もほぼ毎日のように寝る前に三脈を測っていた。ただ、その前日だけ忘れていたのだ!三脈も慣れると、手で測らずに乱れが分かるようになるようだけど、僕はそこまで達人ではなかったようだ。事故の前日も当日も、脈のことは全く分からなかった。そして落下して骨折した。まあ、今となっては測っていても乱れてなかったかもしれないし、分からなかったかもしれない。
事故の事後
僕は、人生初の骨折と入院、手術という欲張りセットを一気に経験した。三週間近く入院して、退院後自宅にてしばらくニートを満喫した。入院中、退院後はしばらく観てなかったアニメを観始めた。途中から惰性もあったし、以前のように都合の良い空想の話に没入できない自分の発見もあった。同時に二次元の物語の中に自己を投影させたり、そこまでいかなくとも感情移入できたりすることって何ていうか凄いことだなって思った。
また、現実の話に戻ると4、5年口を聞いていなかった弟と会話し始めたのは良いことだった。向き合うべき家族のことにフォーカスするために骨折って事態が起きたとも考えられるし、実はそのコミュニティーにそこまで信頼を感じられなかったし、一度生き方、働き方を見直せってサインだったのかもとかも考えてる。入院中に聴いており、昔から好きだったボーカロイド曲『celluloid』をバッキングの1から作って歌って動画にした。ピアノを弾いて録音し、DTMでドラムやギターやら打ち込んだ。DTMを初めてちゃんとやった。
この曲以外にも色々音楽やってる。
さて、自分がやりたこと、自分とは何か、迷走し過ぎて分からなくなってきているが、最近はシンプルに生きられてはいる。元々二元論的な価値観や、コンプレックス的なものから脱することができていることもあったのが良かった。背骨を折るっていう大けがをしたが、気持ちにそこまで影響はない。来年は季節労働をしながら、夏から日本中を車で旅しようと思っている。今の今免許も車もないのに!(笑)免許は10月から取る予定だけど。実家に帰らず、実家という安心の砦を捨て、辛くてもひもじくても車で巡りたい。
ここ最近は、というより7月半ばから働き始めて、8月は週6くらいで働いてる。肉体労働もし始めている。背骨は完治していないだろうから、本当は良くないかもしれない。こういう自分の性格や生き方を見直すために事故が起きたと考えるなら、全然反省していなくて神さまも呆れ顔だろう。いや待て、事故を起こしたのは神さまなのか?胎内記憶がある子どもの話だと、自分が自分の人生の筋書きをある程度決めて生まれて来るって話もある。なら、俺はここから何を得る?何を気付かせるためにこの場面を作った!?
コメント