熊本の田舎、サイハテ村に来てから今日で7日目となりました。サイハテ村自体の説明や来た理由はこちらの記事で書いています。そしてこのブログの内容に沿って撮った動画はこちらです。
後述していますが、スピリチュアルなことに関して書いています。
ゴールデンウイークということもあり、新しい人が来ては帰って、入れ替わり立ち替わり忙しい日々です。初めましてからさようならまで、心が忙しいです。
本日も朝から真央さんと、昨日の女性の方と、暮らしの学校という制度で来ている、男性のスタッフのけんざいさんたちが話されていました。僕は「縄文時代」というワードが聞こえて来て目が覚めました。「縄文時代」という言葉は、騒音の中でも自分の名前を聞き分ける「カクテルパーティー効果」並みの浸透力を、僕に対して持っていたようです。
朝食はこの村で採れたサニーレタスや人参の葉、他のスタッフの方が作られたスープや、玄米、僕が提供した地場産のイワシなど、朝から豪勢に頂きました。
ゲストハウスでは、よく自給自足したものや作ったものを交換していますが、お金を介さないギブアンドテイクのやり取りは、ここでも人々の一つの目標となっています。スーパーは日常的に使っていますし、完全にお金を介さないことはできませんが、ギブアンドテイクの関係はこれからの時代、もっと必要になっていく気がしています。自給自足的だったり物々交換だったり、古いがむしろ先進的な世界と、資本主義の世界とをどう折衷させていくか、どう渡り歩いていくか、という話をしていました。
無力感に負けない
この社会には添加物や危険な農薬や除草剤、遺伝子組み換え食品など、コストのみを追求した危険な食材がたくさんあります。除草剤などは、一度使ってしまうと楽で戻れなくなったり、自分で除草するには年齢的に厳しかったり、理想論だけでやめろとは言えない面もあります。しかし、そうした理想を持っている人たちも、そういった食材があっても、「最悪だよねー」、「ヨーロッパでは禁止なのにね」とか、愚痴を言ったり諦めたりしがちですよね。被害者意識で生きていくのは辛いし、何も変わりません。しかし同時に、教育制度を含めた社会の仕組みによって、僕たちが無力感を覚えているのも事実です。別に対立するとか、戦うとかでなく、単純に「どんな野菜使ってるんですか?」とか「このラウンドアップって除草剤、危険でヨーロッパで禁止されているらしいですよ。」とか、友達や家族、飲食店や農家の人、自治体、政治家などに話してみても良いと思うんです。僕は自治体の議員さんと知り合いということもあり、そういったことがそんなに特殊なことではないという認識があります。実際普通のことなんです。だって、税金払ってるでしょ?そのお金で行政も政治家も食ってるんですよ?国、政治家とかいうと距離を感じる人も多いでしょうが、言ってみれば税金を払って支えている僕ら自身が国であり、理想的な生活をする資格があるんです。
とは言っても、中々「若者の政治離れ」とも言われているくらい政治が遠いものになっているのも事実ですよね。僕は自分の使命としては、議員さんとの繋がりを有効にこの世に還元していくということがあると思います。ご期待ください。
スピリチュアルの意味
話はスピリチュアルの話にもなりました。サイハテ村など、こういったヒッピーのコミュニティは「宗教」や「カルト」などと結びつけられて考えられやすいです。検索候補で「サイハテ村 熊本 やばい」とか出てくるので面白いです。実際、スピリチュアル的なものに関心のある人は多いようです。しかし、サイハテ村が特定の宗教に入っていたり、ここに来て「洗脳」されたりといったことは一切ありません。「自由」を売りにしている村ですから、そういったスピリチュアル的不自由さもありませんね。
さて、スピリチュアルのことに関してですが、僕自身も実体験や興味があります。中学生の時に幽霊を見たり、百人一首大会の時に次ぎ読まれる札が分かるという、ある種時空を越えた経験をしたことによって、興味を持たざるを得なくなったのです。僕の友人は小さい頃に、会った人が人間として何回目の人生かという「転生回数」が分かったらしいです。真央さんも、生まれる前の記憶である「胎内記憶」というのを、不明瞭なものの持っているらしいです。そして暮らしの学校スタッフのけんじさんは、シータヒーリングなるものができるようです。今の自分の意識の中に巣食っている、トラウマや苦手意識、こだわり、コンプレックス、ブロックと呼ばれるものは、小さい頃、もしかすると前世での体験によってできている、とその方は言います。それをヒーリングで癒して治していくというのです。
こうしたスピリチュアルというものは、人によって興味がなかったり避けたい話題だったりします。しかし同時に、最近こうしたことに関心があったり、抵抗なかったり、さらには実際に何かしらの能力があったり、という人が増えているようです。前世があると仮定して、それを覚えて生まれてくるとか、何か現実離れした能力を持って生まれてくることの「意味」とは何でしょう?どうやら、そういう子どもたちは、「この地球を守るために生まれて来た。」と話すことがあるようです。前世からの知識を活用するという、いわば「飛び級」で力をつけていって、この地球を守ろうとしているのかもしれません。
ただ、同時に、「意味」を求めるのは「意味」がない、とも思います。そんなもん無しに僕らは生きているし、心臓は勝手に動いて、最後は勝手に止まる。明日の天気に意味はないと言えばないし、人によってそこに意味を感じることもできます。そして、そういった現実離れした能力というのは、無理に求めるものでもないし、それ自体の「意味」を考えるものでもない気がします。ま、考えるのも自由です。そう、自由ということ!本当の「自由」になった時に、そういった現実離れしたことが起きる可能性があると思います。僕の場合、幽霊は「自由」とは関係ないと思いますが(笑)、百人一首大会で次読まれる札が分かった時は、百人一首がとても好きで、そこに集中して、自分というものがなくなり、スピリチュアル的に大げさに言えば大会と一体になっていました。いわゆる「ゾーン」とか言うのかもしれません。こうした経験は、カルタの大会のトップの選手などの中ではよくあるようです。スポーツ選手なども試合の時に、こういった状態になることがあると聞きます。真央さんも、高校時代のアメフトの時、試合の時に動くべきプレーが分かり、大活躍してMVPをとり、大学の推薦を決めたとか。
こういった少し先の未来が分かるようなことって、時間の流れを疑うことになりませんか?よく分かりませんが、過去から未来に流れるという時間の流れも、この地球の相対性理論の中であるものですよね。だって、宇宙がビッグバンから始まったとして、無から有が生まれるってどういうこと?って感じじゃないですか?ということは、時間の流れというのも一定じゃないかもしれないし、過去➡現在➡未来と流れているばかりではないかもしれない。このあたりは、クンルンネイゴンや世界中の秘教の継承者であられる、Kan.さんが実体験もされており、本の中でも話されています。Kan.さんの記事はこちらに書いてます。
Kan.さんのこちらの本は、スピリチュアルに関心のある方も、そんなない方にもかなりおすすめです。
その名もズバリ「時空を越えて生きる」ですね^ ^
そして、本当に「自由」な状態と言うのは、「自然」な状態と言えると思います。その状態とは、未来に対しても過去に対しても、「期待」や「不安」、「嫌悪」、「憧憬」などがありません。そうなると、「今」しかなくなるのです。「今」を意識するのでもありません。Kan.さんの本にも書いてありますが、「今」を意識しようとしても、意識した時点でちょっと「過去」になってしまいますから。そうではなく、何かに夢中になっていたり、一つのことをずっと行っていたりすると、その行為と一つになって溶けていくような感覚があるかもしれません。「今」にいることになり、時空を超えたような体験をするかもしれません。そういった体験を欲しがったり、比べたりすると、途端に「今」にいないことになるし、勿体ない気がしますね。そして、この能力が凄いのでもなく、持っていないからと嘆くこともありません。自分が本当に「自由」に、「自然」になった時にあるものを大事にすれば良いだけかもしれませんね。皆さんも、素の自分を思い出してみてください。赤ちゃんの時は、皆「今」しかなかったはずです。つまり、全員が経験はあるのです!今日あげた動画でも色々話しているので、よければ見てください。それではまた!
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