サイハテ村に来ています。DAY3 ゆとり世代

サイハテ村に来て本日で三日目となります。昨日の熊本はすごい雨でしたが、今日は曇り時々晴れのようです。気温は15℃で、少し肌寒いです。今日は午前中ずっとほぼ同世代の人と話したり、子どもたちと虫(シジミチョウやイナゴの幼虫など)を追いかけたりしていました。その中で私の中で再確認して大事だと思ったことをシェアしていきたいと思います。動画でも話しているので良ければ観てください。➡https://youtu.be/VzRfF90cgNU

新たなオルタナティブの生き方

午前中ずっと、村に来ている一歳上の方とお話していました。その人とは今後も色々関わると思いますが、許可も得ていないし、今は名前は出しません。 許可得てます!しんたろーさんです!

しんたろーさん左と、僕森田右

しんたろーさんとは、この村の生活のような、ヒッピー的な、自然の自由な生き方もあるよねーという話を主にしていました。しんたろーさんも以前、このサイハテ村に拠点を置きながら、車で下に降りて、海で海苔をとる仕事をしていたり、ミカンの季節にミカンの枝をハサミで切る仕事をしたりと、季節労働をしていたようです。そしてしんたろーさんが出会った人の中には、家族を持ちながら季節労働をしたりキャンプしたりで、インドに旅行に行かれた方もいらっしゃったとか。季節労働でも海外旅行ができるほど、経済的な余裕がある方がいらっしゃるのです!

他には、ヒッチハイクを6年くらい続けており、スマホも持たずに日本を一周し、今では北海道と沖縄を除いたエリアを3週間で周る方もいらっしゃるとか。普通の東京の生活では考えられない生き方をしてらっしゃる方が結構いるのだなと思い知らされました。

ゆとり世代で異質な僕らだから見える世界

しんたろーさんは私より一つ年上の28歳ということもあり、僕たち「ゆとり世代」のことにも話が広がりました。僕らって、上の世代の、例えば昭和の世代の話を聞いて、その価値観の良し悪しや当時のスピリットも分かる。

「この高速道路、俺らが寝ないで工事して作っていたんだぞ、分かってるのか!?」と、当時作業されていたおじさんから聞かされた人がいます。そういった根性?、精神に憧れもあるし嫌悪もある。後にのちに生まれた僕らは、何の疑いもなく、前の世代が築いてくれたインフラや社会を享受しています。とはいえ、そういった価値観が、色々な意味で時代に合わなくなっているのも事実。ゆとり世代の僕らは、そんな昭和の雰囲気と同時に、下の世代のことも見える気がします。デジタルネイティヴと言われる下の世代の価値観や生き方は、僕らには分かるが、僕らより上の世代には分かり辛い面もある。僕らはある意味で板挟み的だったり、調整役だったり、どちらにもなれるポジションなのかもしれないです。

しかし、世代間ギャップで言えば何といっても、このコロナ禍の前と後で明らかな隔たりがあるだろうと思います。例えば、今の子どもたちが学校でもマスクをさせられたり、距離を取らされたり、給食でも机を離して黙食させられたり・・・。そういうのを見て「かわいそう」とか、「こんなのおかしい」というのは、ある意味で身勝手な意見かもしれません。それぞれが時代の中の体験として、人生の「ストーリー」として設定上組み込んでいるのかもしれないですしね。もちろんそこで「おかしい!」と思って抗うのも、自分の人生のストーリーかもしれませんね。

しんたろーさんとの会話の中で、特にコロナ禍で妨げられてしまった、顔を向き合わせ、目を見て話すことが、人間関係や思考力、生きることにとって大事で、僕らはそれを知っているし、忘れていないし、他の人・他の世代にも伝えることができると、話し合いました。

それぞれの「ストーリー」が交わっていく

自分で言うのもなんですが、僕はどちらかというと物事をシニカルに見ているし、優しさと意地悪さの両方を兼ねて皮肉ったり嫌味を言ったりもします。しかし、しんたろーさんと話していて僕も再認識させられたのは、各々に各々の「ストーリー」があるということ。

「ストーリー」とは、生きて来た道のことだったり、もしかしたら生きる前から?設定された「あらすじ」かもしれません。こんなことを言うと怪しいスピリチュアルだと斬る人もいるかもしれませんね。^^;まあ、つまりは、それぞれ背負ってきている物語があり、それぞれの世界がそれぞれにとって100%であるということ。誰かを強制したり変えたり、勝ったり負けたりは無いし、しなくて良い。考えてみれば当然のことですよね?^^

だけど現実として、皆さんの会話の中でよく、「誰それが連絡寄こさなくてマジでないわ」とか、「一回ドタキャンしといて謝りもなく次誘ってくるとかあり得なくない?」とか(笑)、「会社で上司に気を使って文章考えるのがダルい。」とか、かと思えば「うちの若い奴が礼儀も知らんし、付き合いも悪い。」とか言っているのをよく聞きます。

こうしたものは、実はそれぞれを尊重する対話を諦めて、相手や、場合によって社会を変えようとしたり悪者にして思考停止したりしています。一昨日の記事ではありませんが、それこそ、そういう考えになっているから良いとか悪いとかはありません。しかし、「惜しいな」とは思います。僕たちには分かり合おうとする才能があるのですからね!それぞれが、それぞれで良いのですが、自分勝手になるのとは違います。「自分の自由で誰かが泣いていたら嬉しいか?」と自問した時に、心が本当に自由で自然な状態であれば「NO!」と思えるでしょう。「自分は自分のストーリーの中で、あなたに対してこう思ったけど、どんな感じ?」と自分の背景や立場を明らかにした上で、人の見解を聞くことはできるし、それが対話ですよね!?

とまあ硬い話はやめておいて、僕は、僕らの世代はそういった上下の世代の立場をそれぞれ推測できるし、僕も今日話した彼も、こういうラフで、ヒッピー的な、前近代的な、自然な、自由な、楽しい生き方もあるよ!ってことを伝えていけるよね!?とずっと話していました(笑)。僕らはある意味今の時代、社会から見て「異質」でしょうが、同時に昭和やこれまでの上下の世界や、根性論・体育会系だったり、真面目堅実、終身雇用…といった世界観だけでは上手くいかなくなっているのも事実でしょう。

今の金融の体制や資本主義が持たないとも限りません。なので、半端もので異質かもしれない僕らですが、これからの世界にある意味で気づきとスパイスを加えていける存在なんだなと再確認しました。ということで、拙いながらも発信していくのでまた宜しくお願い致します!

サイハテラボと呼ばれる建物の中のこちらでずっと話していました。
夜は「宴」と呼ばれるイベントのある日で、大盛り上がりでした。

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