サイハテ村に来ています。DAY13

昨日の5月10日を書いています。5月10日で僕がサイハテ村に来て13日目になります。昨日は暮らしの学校という制度で来られているRさんと、下に降りて観光というか散歩というかをしていました。今回はその観光?の話と、Rさんとの会話の中で再び考えた「二極化」、そしてその元にある「二元論」の世界の話をしたいと思います。

サイハテ村周辺の観光

観光と呼べるほどのものもあまりなさそうですが、良い景色だったり楽しいところだったりを紹介します。僕らは下まで山道を降りて、上本庄というバス停からバスで三角駅まで行きました。サイハテ村から上本庄のバス停までは徒歩約20分くらいです。三角駅の前にピラミッド状の施設があり、中に入ってみました。海のピラミッド(正式名称:三角港フェリーターミナル)というところらしくて、眺望がキレイでした。

眺望はこんな感じ。天草や離島が見えます。

ピアノも置いてあり、Rさんに勧められて弾いていました。ちょっと弾き語りもやりましたが、そろそろ歌もピアノも本腰入れて練習しようかなと…ま、いつも思っているんですがね^^;

その後三角駅の奥の方、天草寄りに駅から1.5km歩いたところにある「海の隠れ家」さんというレストランで食べましたが、まあ景色の良いこと。

海鮮お好み焼き定食?1350円くらい。

現実世界・二極化の現れ

Rさんとは色々な話をしていましたが、その一つにコロナという疫病騒動を契機に、マスクやワクチンなどのことを巡っていわゆる「二極化」が起きているという話になりました。これまでの記事でも書いているように、僕は「二極化」というものはないし、あるとしたら僕らの心の中にだけあると思っています。動物とか赤ちゃんとかからしたら、「人間の大人って何でそんなことで対立できるんだろう?」って感じだと思います。とはいえ、実際に起きていることは色々大変だなと思うのです。例えば、Rさんの周りに、病気の研究所に勤められている方がいらっしゃるらしく、ワクチンを打った患者さんと接していると吹き出物が出たり体調が悪くなったりするらしいのです。こうしたことは実際にその人には起きていることであり、メディアで取り上げられないからと言って無視できませんね。日本は6回目の接種だとの何だのと言っていますが、世界的に見ても6回も打っている国はありません。元々治験期間中に始まったもので、何か起きても製薬会社でなく政府に責任があるという不可解な背景があったり、他のワクチンにない死者を出していたり、その他色々な問題もあったりするものを、今後日本人はどう考えて向き合っていくのかは興味あります。(゜-゜)

あまり明るい話題ではないですが、これに続いて、僕の知り合いのおじさんがちょうど昨日心臓の手術を受けることになっていたのですね。少し前に、急に心臓が悪くなって手術になったとか。僕は東京から離れる際、最後に「ワクチンは打たない方が良いかもしれないです。僕の周りでもワクチンを打った後、心臓や血液系の疾患になっている人がいます。」と伝えました。すると「知っている。だから2回打って止めた。」と言っていました。知っているというのは、もしかしたらその人の周りにもそういう方がいらっしゃるのかもしれないですね。僕は手術の結果を知らないのですが、離れる前最後に、「また東京で会いましょう。」と話しました。

「病気や死=悪い」は思い込み

こういったことは暗い話題に思えますが、もしかすると病気や死に対してネガティブな印象を持っているとしたら、それも一種の思い込み、洗脳かもしれません。そしてこの文章自体も突っ込みどころがあって、ネガティブというのもネガティブに捉える必要もないのです(笑)。つまり、ポジティブが良いとか、ネガティブが悪いとかいうのも思い込みです。僕は個人的には、ひたすら明るいポジティブなインフルエンサーなどは、見ていて息が詰まります。お葬式の時に「ポジティブでいろ!」とは誰も言えませんよね?ポジティブ・ネガティブとか、良い・悪いといった二元論を壊した世界の話は別でまたしたいと思いますが、病気や死というもの自体が悪いとか、ネガティブというのは違う気がします。成長=老化であり、生きることはまた一歩死に近づくことでもあります。また、生きていれば一生無病息災で過ごせるわけでもありません。

病気というのは自分の身に起きているのであれば、それは100%自分の体験であり、そこを元に色々考えられると思います。僕は大学受験の時、一日12時間とか勉強してストレスもためて、病気になりましたが、その経験はある意味でありがたかったです。こういった話から病気の体験を綺麗事にして語るのも違うと思いますが、自分の体験は自分にしかなく、酸いも甘いも味わうのが人生なんだなと感じてはいます。そういった諸々のことを受け入れた時に、自分なりの死生観なるものも見えてくるのかもしれません。それがないままジャンキーな生活を送り、仕事や人間関係でストレスをためて、病気になったら原因を見ずにとにかく対処療法で医師に任せる…こんなことでは、「死はなんとなく怖いが、実は生きる気力も楽しみもない」といったような悲惨なことになり、死ぬ時に後悔ばかり残りそうですよね。

とまあ、長々と語りましたが、今後どんなことがあっても、コロナだろうがワクチンだろうが二極化だろうが大丈夫です。大丈夫ってのはそれこそ今書いたように、病気にならないとか死なないとかそういう意味ではありません。そこを越えた先にあります。そんなことで一喜一憂しているのは、ちょっとくだらないというか勿体ないと思います。どうせ勝手に心臓が動いて、最後は勝手に止まるだけですからね!

さて、現実世界の話にちょっと戻りますか(笑)。Rさんとその後スーパーに買い出しに行き、その後前日来たばかりですが、また天神楠に行きました。人と来ると自分の写真も撮れるので良いですね。

その後サイハテ村には、車で日本一周をしている僕と同い年のおのれちゃんという人や、たまたま地元の大分まで帰れなくて急遽泊まることになったヒグマさんがいらっしゃいました。皆で夕食を作って持ち寄って食卓を囲んで食べる楽しい時間でした。人と生身のフラットな会話をしていると、本当に面白いものです。そこには「二極化」や「二元的」な価値観を越えたものがあるのです。ということで、皆さんまたお目にかかりましょう!

サイハテ村の仲間たちと、おのれちゃん(真ん中)。ヒグマさんは到着前。

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