人生とは。早大5年目の僕は何を思うか。

 さあ、寒い見出しで始めてしまった。早大という枕詞くらいしか、ネット上において今の自分の肩書というか、アイデンティティを示すものたりえないことに劣等感、そしてその反動でくだらないプライドをも感じてしまいつつ書いている。ま、この劣等感プライドといったワードは、今後この記事の中で重要なワードとなる。

 

 さて、普段から文学部であるゆえか、人生の意味や人生そのものについて考えることも多い僕であるが、先日中学時代の友人二人と久々に、ほんとうに久々に会い話したことにより、また思ったことが色々あるので書いていきたい。

 僕らが通っていた中学は中々変わっていたし荒れていた。東京都の中でも教育水準のかなり低い区であり、その中でも学力で言えば更に下の方の中学校だった。荒れてもいた。同学年にそこまでの不良はいなかったが、上の代には中学から学校近くで喫煙する者もいた。僕らの代でも飲酒や万引きを自慢する輩がいた。中学二年の時には、先生の責任もかなりあると思うが、数学の平均点が36点ほどだったこともあった。平均点がこれではかなりまずいだろう。僕も一時30点代の点数をとったと記憶している。もちろんこれは先生の責任もかなりある。

 その後僕は私立高校に通った。偏差値は55ほどだったか。しかし私立高校の偏差値はあてにならない。僕は卑怯にも、不得意で偏差値が40ほどしかなかった数学や、そこまで悪くないが苦手な理科を避けて英国社三教科の私立に絞っていた。僕が言えた身分でないことは承知しているが、ここにも本当に教育の格差という問題がある。まあ、これについてはまた後に詳述したい。さて、高校では結局、勉強に熱心になれなかった。高三最後の模試では、偏差値英語45、国語40、世界史53程度だった。

画像が荒く世界史の結果も見切れているが、英国だけでも酷さが分かるだろう。

 高三の最後の模試でこのありさまなので、受験の結果もお察しの通り惨憺たるものだった僕は一浪して大学受験に臨むこととなった。いかにして、一年間で偏差値を30ほど上げ早稲田大学に五学部合格したかについては、また機会があれば書きたいと思う。ともあれ早稲田大学に合格した僕は、中学、高校、大学と様々な世界を見てきた。いってしまえば学力や経済面などで家庭環境が厳しい学生から、高学歴で経済面にも余裕がある学生まで。そして大学5年目の今、中学の友達と再び話すことで色々なことを考えている。

 中学の友人一人は都立高校卒業後、専門的な大学で資格や経験を得て、専門的な職に就いている。女性が多く、薄給で知られる仕事で社会問題にもなっている職だ。親からの反対もあったようだが、彼はやりたい仕事だからどうせなら最初に経験したいと考え就職したようだ。その結果とても満足いっており、確かに今のところ給料はそこまで高いわけでないが残業も少なく、その職場に残るかは分からないが、その職自体は一生続けていきたいらしい。まさに天職だ。

 もう一人の友人はかなり変わっている。高校卒業後、勉強がほんとうに嫌いだったために専門学校へ行ったそうだ。しかし在学中にダーツにハマり、プロの道で食っていこうとして学校を3カ月ほどで辞めてしまったとか。そしてダーツのプロにはなったものの、食っていくのは厳しく、その後職を転々とし、今は定職に就いているという。ある時期ヒモになった経験もあるとか。そしてとても驚いたのが、もう既に結婚しており、子供ももうじき生まれるようだ。ある程度実家で貯金しており、配偶者の方にも貯金があったため結婚に踏み切れたようだ。そして余談になるが、彼は結婚までに女遊びも含め遊び倒しておくこと、またそれでも結婚などを考えるとほんとうに貯金は大事であることを語っていた。

 大学の友人たちは、ほとんど皆優良企業に入った。しかし彼らが幸せな日々を送っているかというとそうでもない。まず、いわゆる就活とは、結局は企業に合わせた仮面を作り上げる作業なのではないか。企業から受けさせられるテストの中には、数学や英語、知識問題、読解問題などの応募者をふるいにかけるもの、また適性検査という、性格診断のような謎なものもある。はっきり言って、ああいったテストの問題は回答が存在しないような、また答えたいものが選択肢にないように感じるものもあるし、答えが時と場合によって異なるようなものもある。あんなもので応募者の性格を見極めようとするなど、傲慢というか無茶としか思えない。結局高校までのテストと似たような、均一化され、採点する側にとっては楽な手抜きのものだ。実際大手のインフラを司る企業に就職した者で、就活なんてクソくらえと言っている者がいる。手取りの低さや控除額の多さ、残業の多さ、呑み会のだるさなどを、就職した同期の者のTwitterなどでよく見る。自分のことが好きで、最近のインフルエンサー的思考がやや強い者は、もう既に転職し、自分のやりたい仕事に集中できる企業に入ったようだ。

 さて、こういった事象を僕はどう思うのだろうか。“健康”や“社会問題”といった観点から、この世の裏や、陰謀めいた部分を少しは知ってきたつもりである僕だ。中学時代、そして今もNPO法人で僕の住む区の中学生に学習支援をしていることもあり、“格差”や“教育”の問題を目の当たりにしている。このご時世、一般企業に入れば、労働者は基本搾取されるし、外資系なら資本が海外に流れて行ってしまう。これも今後書きたいことになるが、今の金融資本主義、そしてお金の発行の仕組み自体が実はおかしい。我々が、“お金”と考えている誰かの借金を貰って稼いだところでしょうがないと思ってしまう。この辺の話は、今れいわ新撰組に所属した政治家の大西つねきさんがとても詳しい。

 ↑リンクを貼らせて頂くので、是非観て頂きたい。今の信用創造という借金でつくるお金の仕組みが変わり、政府がちゃんとお金を発行するようになれば、健康や格差や僕も問題だと感じている様々なことが解決されるのではないかと考えている

 ともあれ、僕が通っている早稲田大学を出たような者たちは、自分たちは頭がいいと思っている。ここまで勉強してきた、周りよりできてきたのだというプライドがある。しかしほとんどは受動的な教育を受けており、自分から発信したり何かを深く考えたりする能力に乏しい。もちろん全員がそうとは言わない。しかし早稲田大学文学部のキャンパスでは、「Wi-fiが繋がらないから死ね」とかあまりに稚拙なことを言っている者や、趣味もなく、スマホゲームくらいしかやることがないと言っている者もいる。基本的に皆、高校までは受動的、そして機械的暗記的に勉強を要領よくこなしてきた。しかし大学に入ってからレポートやプレゼンなど、自分で頭を使うことになると、上手くできなくなり急にテキトーになる、といった現象が起きていることを言っておきたい。偉そうに書いているが、僕のその内の一人だ。そして就活でも自主性や自分で頭を使うこと、自分がいかに何かを頑張ってきたことをストーリー化してアピールする必要がある。しかし実際入社後はまた同じことの繰り返し、自分で考えることは少なく、会社の方針第一、といったこともあるようだ。そして大学までに得たプライドだけあるため、ストレスが溜まる日々を送ることになるのだ。もちろん全員がそうではない。自分なりの人生を謳歌している者もいるし、色々なことを考え問題は解決していこうとする者もいる。

 結局人間が何をすべきなのかは分からない。しかし不必要なストレスをためたり、しょぼいプライド劣等感に振り回されるのは馬鹿らしい。僕が気にしているような“健康”や、“お金の問題”も、知らない人、考えない人にとっては真実ではない。“真実”は客観的に存在するはずだが、主観によっていくらでも変えられてしまう。なかったことにもできてしまう。中学時代の友人一人は、自分の天職ともいえる職に就き、幸せそうだ。今後様々な問題が生じたとしても、彼はやり抜いていけるだろう。それはひとえに彼の人格だろう。変なプライド劣等感はなく、素直に物事に向かっている。中学のもう一人の友人も、少し紆余曲折はあったものの、今は家庭を持ち子供も生まれるということで、守るものができて一生懸命になっている。その様子は月並みでも掴んだ幸せを大事にしていこうという感じだった。彼にも変なプライド劣等感はなく、自分なりに人生を楽しんでいるように見える。人には使命があるのだろうか。あるとしても、それは探して手に入るような代物ではないだろう。人によって感覚は異なる。主観の数だけの真実がある。僕は僕にとっての真実を追求していきたい。そしてその道に真実でないものがあるなら、それを変えていきたい。傲慢な正義を振りかざすのではない。僕の関心のある健康や社会の問題の中では、実際に困っている人がいる。それを変えていきたい。

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