サイハテ村に来ています。DAY9 サイハテ村と二極化

サイハテ村の日常

サイハテ村に来て9日目となります。今日の熊本は断続的に激しい雨が降っています。風邪は落ち着いてきています。食事もおすそ分け、風邪もおすそ分け、免疫もおすそ分けですね。今日は二組のお子さん連れのご家族が帰られて、急に静かになりました。昨日の記事でも書きましたが、ここにいらっしゃる親御さんたちも自然や健康、その背景にある資本主義の闇などに関心のある方が多いです。何が闇かという話は今回は置いておきます。

そして親御さんたちは、子どもたちにとっても健康状態や資本主義の構造に左右されない「自由」な生き方を目指されています。それもあってか、ここの子どもたちはあまり「人見知り」をしません。資本主義の仕組みの中だと、競争や比較、勝ち負けがあり、誰かが勝てば誰かが負けるゼロサムゲームであるので、他人が「敵」になりやすく、信用しないことにも繋がりやすいのです。もちろん全てが全てそうではありません。しかし、東京の子どもたちの多くは、選挙活動を手伝ってチラシを配っている時にも思いましたが、マスクをして、人と目を合わせないようにしたり、横目で目を細めて、まるで人を品定めするような目をしていました。仕事の教育の現場では、子どもがなぜそういった態度になるのかを、家庭や学校などの環境、そしてそれをつくる社会の背景も含めて垣間見ることになりました。もちろんこれも、全員が全員そうではないし、そうだからと言って「良い/悪い」の話ではありません。

さて、GWも終盤となり、サイハテ村のゲストハウスに来るお客さんも減っています。空いた時間は、おやつ作りをされる方や、皆で占いをやったり、シータヒーリングなるものをされる、暮らしの学校のスタッフのけんじさんがいらっしゃったり、とても楽しい時間が過ぎていました。僕もシータヒーリングの一環でOリングテストをやってもらい、今の今はお金に若干の不安があること、マスクやワクチンなどが嫌いなこと、人間関係やパートナーシップに問題はないこと、目立ちたがり屋なことなどが明らかになってしまいました😨。

今日の朝食。頂いた玄米と地場産の魚、野菜の料理です。煮付けはカサゴ(こっちではガラカブ)で、初挑戦だがまあまあの出来でした。

サイハテ村と現実世界

今日はサイハテ村と現実世界のことを考える時間がありました。サイハテ村というのは一つの具体例のイメージで、ここで僕は「少し現実離れした世界」、「既存の、一般的な世界でない世界」、「ちょっと資本主義的でない世界」といった意味合いで用いています。

反対に、現実世界とは、実際に今サイハテ村が実利的に直面している「現実」や、都会の資本主義体制下バリバリの世界のことを示しています。

サイハテ村にも色々現実的なことがあるようです。(問題とは書きません。)今、実際に村を運営されているのは、コミュニティマネージャーの坂井さんご家族ですが、元々のオーナーと発起人の方が別にいらっしゃいます。オーナーの方は遺産を相続されてこの土地を買われたようで、その後毎年かかる莫大な固定資産税を払えない時もあったり、発起人の方と趣向が合わずに離れてしまったりしたようです。発起人の方も自分の肩書としてこのサイハテ村を用いるが、実質的に村にあまりいなかったり…。坂井さんご家族としては、マネージャーとして本当はもっと色々やりたいが、他人の土地ということもあって本領発揮できていないらしいです。サイハテ村の土地を買い取るかどうかという話もあるようで、できなかった場合この村を一度離れて0から新たな村・コミュニティを作ることも考えておられるとか。これまでやってきた実績と誇りがあり、0からでも村づくりをする自信はあるようです。

この現実離れした感じのサイハテ村でも、色々と現実的なことに直面するのですね。ただ、それも昨日の記事でも書きましたが、人の「心」によるところが大きいと思います。オーナーの方も、「自分の土地だから」という独占欲というかエゴのようなものをお持ちなのかもしれませんし、ここまで築き上げたんだから…と過去や未来のことを気にするのも人間ならではのことかもしれません。人それぞれ思っていること、感じていることは異なります。そこで本当に合う人、世界だけを求めるのも良いかもしれませんが、それはもしかしたら幻想かもしれません。本当に合うものなどありませんからね。本当に合うものを求めるという態度には、一方的な期待や同調、誰かの我慢などがついて回ります。ま、本当の意味の「期待」とはその字の通り、ただ「期を待つ」だけなんですけどね。一方的な「期待」というのはその実「期待」にもなっておらず、自分の欲望を他者に投影したに過ぎません。そうした期待や同調を越えていくためには、本当の「対話」が求められます。

サイハテ村と二極化 -交わらない世界-

さて、これは書くかも迷うのですが、本日いらした方に元大手の製薬メーカーの方がおられました。(←「いらした」と「おられました」って重複表現かな?💦)まあ、昨今の疫病(茶番)騒動下で、「打つ」やつで儲けられた会社の方ですね。その方に、僕のこれまでの経緯や思いを話していたところ、どうも話が全くかみ合いませんでした。僕が今の資本主義体制のお金の発行の仕組みのままでは限界が来ること、食糧自給率が低いこともあって、まずは自給自足的な生活やコミュニティを見たいから来ているということに、どうしても納得されないようでした。その方いわく「自分が自給自足が好きだからやっているんだったら分かるが、お金の発行の仕組みとか食糧自給率の話が出ると胡散臭くなる。」らしいのです。僕の知識不足や伝え方が拙かったのもあるでしょうが、やはり人間自分の知らない世界のことは見たくないのかもしれないなと思いました。しかしその時、だからこそ僕はちゃんと話を聞いてみようとも思い、話を続けてみました。

その方曰く、経済が崩壊した時に一番大事で強いものは、土地や金などの資産らしいのです。それはそうかもしれませんが、そういえば日本人が外国人に「日本が大災害に見舞われたり経済が崩壊したりした時は車でも食べる気なのか?」と言われたという話を思い出しました。そういった資産までもあてにならない歴史があったのも事実だと思います。例えば地震でインフラが止まった時に、資産をそのまま食べて生き延びることもできませんね。

その方が他の方と話されているのを聞いていたところ、金は大事で強くて、金があれば良いという考えを強く持たれているのだなと感じました。その方はご親族で大学生の人に、「就活」がいかに大事かを説かれているらしいです。まるで、「人間にとって一番大事なのはお金で、それが決まるのが入社に関わる就活である。就活によって将来どれだけお金が稼げるかが決まるから頑張れ。」と言わんばかりの感じでした。そういった前提もあってか、僕の言うことにも全く賛同してもらえず、話が平行線になりましたが、最後は自由に楽しく生きれば良いという話になりました。ただ失礼ながら、そうしたいわば「メンタルブロック」を抱えながらの自由ってあるのかなと疑問を持ちました。

恐らくこのような自分と合わない人や出来事に、出会わない世界線もあるでしょう。本当にこの村に来てから色々話の合う人が集まり、僕自身これからやりたいことが明確化してきています。今回の元製薬会社の方との出会いは、人間そういった都合の良いことばかりじゃないし、他者と気が合うからと言って「絶対だ」と信じるなよという神?からの忠告のような気もしています。

そして同時に、僕は東京で生まれ育っていますから、軸足は東京にあり、こうした二つの世界を渡り歩くことに運命づけられているのかもしれません。「二極化」という言葉も一部で流行っていますが、それがあるとすれば考えている我々一人一人の心中です。僕と今日いらっしゃった方との会話を聞かれていた方から、「大丈夫だった?」と後で心配されました。確かに僕もちょっと「うーん」とは思っていたし、あまり楽しい会話ではありませんでした。しかし、現実として僕に起きたことであり、僕は何か共鳴し合うものを探したいなと思ってしまうのですね。まあ綺麗ごとですけどね^ ^

もし二極化があるとして、今後その二つの世界がどうなっていくのか?そして僕らの世代、周りの人たち、このサイハテ村といった現実離れしたオルタナティブなコミュニティがどうなっていくのか?そして僕の使命が二つの世界に関わることだとすると、僕自身どうなっていくのかということは疑問もあり楽しみですね^^。

それではまたお目にかかりましょう!

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