早大卒フリーター、少しずつ動き出します。

早大卒フリーター、そんな肩書き別にどうでもいいし、後述するように「学歴」といった「概念」には全くとらわれていないのですが、なんとなくキャッチーな気がするので・・・。私事ですが、色々精神的な土壌が整ってきまして、少しずつ動き出そうと思います。この前、社会問題や政治に関わる中で、元農水大臣の山田さんと討論する機会に恵まれたり、そこで人生初のYouTubeライブ配信をしたり、歌の一部を、ピアノも弾いて動画に撮ってアップロードしたりと、色々動き始めています。元大臣の方とライブ配信しながら討論しても、全く緊張せずに会場にいらっしゃる方の顔を見ながら話せる自分がいたり、これまで進まなかったり悩んでいた歌が一気に順調になってきたりと、最近足取りがほんと軽くなっています。なぜか?一つには、今後改めて詳述したいと思いますが、簡単に言うと自分の中の概念、特に二元的な概念が崩れてきたからです。おかげで、今後死ぬ最後の時まで精神的な安寧がありそうな気がしています。

二元的な概念とは、例えば「成功」と「失敗」、「正解」と「不正解」、「善」と「悪」、「高い」と「低い」、「良い」と「悪い」、「強い」と「弱い」、「発信者」と「受信者」などです。これらは、はっきり言うと、生まれた後、教育などを含めた環境によって身に着けてしまった、不自然な概念だと思います。赤ちゃんや小さい頃には、まだそうした概念は入っていないと思います。例えば赤ちゃんに、「成功」や「失敗」といった概念が仮に入っていると、喋るのも文法的な「誤り」が気になって喋れないし、歩くのも転ぶという「失敗」を恐れて歩けなくなります。周りも、赤ちゃんのうちは成長(プロセス)の一環として、温かく見守り余計なことは言いません。赤ちゃんに対して、「その言葉、文法的におかしくない?」とか、「君の肉体の構造から言って、歩くのはまだ早い。ほら、失敗したじゃないか。」とか言わないですよね?ところが、段々と「その人のため」とか言いながら、「ああしろ、こうしろ。」、「勉強しろ。」、「将来~になるぞ!?」とか周りが言い始めます。(本当は言っている自分のためだったり…。)そのうち学校に入ると、「成功」も「失敗」もなかったはずの子どもが、いつの間にか授業中に手を挙げて間違えることが、いやそもそも手を挙げることすら怖くなったり、できなくなったりしますよね!?これ明らかに不自然じゃないですか!?人間ってどこまでがプロセスで、それに終わりがあるのか!?結果ばかりに気を取られて、勝手に自分も周りも「成功」や「失敗」、「正解」や「不正解」を決めて、勝手に勝手に一喜一憂してやいないか!?

もちろん、概念が入ることも悪いことばかりでありません。(便宜上「悪いこと」と書きましたが、私の中には今は「良い」も「悪い」もありません。)例えば、重力という概念が赤ちゃんには最初ないようで、高い所に置かれても怖がらなかっり、気にしなかったりします。その後、重力の概念がないまま大人になれば、高い所からジャンプして怪我したり命を落としたりしてしまうかもしれませんよね。ただし、それも「良い」、「悪い」は、生きている人間が勝手に判断しているだけと言えるかもしれませんね。宗教や、人によっては「来世」というものが信じられています。もし高い所から飛び降りて怪我したり亡くなったりした過去世を持つ人は、その点ではそのことを学んだと言えなくもないと思います。これは屁理屈でなく、誰も死んだ後のことは分からないので(臨死体験をされた、例えば木内鶴彦さんなどを除き!?)、死ぬことにおいてすら「良い」、「悪い」は生きている人間が勝手に考えているだけと言えます。逆説的に、死を過剰に恐れたり、医者に何とかしてくれと投げやりに生にすがったり、病気や何かの概念を「悪」、「間違い」として自分の内に概念の壁(養老孟司さんの仰るところの「バカの壁?」)を作っている人は、苦しんで病気になったり、早く亡くなったりしているように見える場合があります。例えば現在、日本・世界ともに最長寿の119歳の田中カ子さん(Wikipedia参照)は、甘い物が好物でコーラを飲まれたり、病気になられて45歳ですい臓がんの手術を、103歳で大腸がんの手術を受けられたりしています。健康とは何なのか考えさせらませんか!?45歳でがんの手術と聞くと、多くの人がその人が長く生きられないように思うと思います。甘いものが身体に悪いという科学的な事実もあるでしょうが、そう唱える医者や科学者の中で、カ子さんの年齢まで生きられる方が一体どれくらいいらっしゃるのか疑問です。カ子さんの人生は、手術を103歳で受けられるなど、決して楽なことばかりではないと思います。また、カ子さんはお子さんを幼くして何度か亡くされていたり、戦争の時期もあったりと、自分の子どもや周りの人の死が特別なことではなくなっていると、僕は勝手に予想します。世の中にはどうしても越えられないことや、どうしようもないことが数多くあります。そこに「正解」・「不正解」、「良い」・「悪い」という概念を持ち込んでもしょうがないし、そうすると精神的にはむしろやり切れない局面が出てくると思います。私のような若造が、到底分かり得る話ではないですが、カ子さんはそのようなことを生きながら、体験しながら知り、概念を溶かしていったのではないかと思います。

長くなってきましたが、漢字というのは良くできていると本当に思います。例えば「親」という漢字は「木」の上に「立」って「見」ると書きます。先ほどの重力の概念の例でいうと、子どもの中には階段などの高い所からジャンプしたがる子がいますよね!?僕もそうでした。あれは、何も高いところから飛べることを競ったり、自慢したりするためだけに行うのではありません。「どのくらいの高さまでなら大丈夫なのか」、「どのくらいの高さでどのくらいの重力がかかってくるのか」を、自分の体感として認識している面があるのです。そうやって、少しずつ誰に習うでもなく、自分の中に自分で経験して何かを得ていくことが肝要に思います。どこかから概念が入って来たり押し付けられたりせずに、概念が構築されるとしても自分の体感・経験と紐づいたものであることが健全だと思います。となると、親としては不安もあるかもしれませんが、アドバイスくらいにとどめておき、何か危険が及ぶ時はそうならないように努めつつも、温かく、文字通り木の上に立って見守ることが大事だと思います。高い所からジャンプするのも一例ですが、ある程度は子どもに自分の体感として好きにさせるのも良いかもしれません。親や学校も、一方的に「正解」や「正義」、「良いこと」を教えたり押し付けたりすると、子どもの中に概念が異物として毒として残るかもしれません。最近の教育では、「なぜそうなるのか」、「なぜ正解なのか、良いのか、悪いのか」という疑問を挟む余地すらない場合が多いです。それだと概念だけが独り歩きして、途方もない迷いが生まれる場合があります。漢字に着目すると、「先生」という字も、「先」に「生」まれただけですよね!?年下の場合でも、その分野では先に学んでいるんだと思います。漢字は凄いです。一方的に教えるのが仕事ではないのです。子どもに概念を押し付けないためには、まず大人も概念から自由になる必要がありますが、それには自他共に、感情とその人はイコールではないこと、自他共に「過去」(学歴や職歴、生まれ育ちや背景など)、「過去の発言」、「お金」や「地位」などで判断しないこと、そして何より「正解」や「不正解」、「成功」や「失敗」といった特に二元的な概念を捨てることが重要になるでしょう。このあたり、今後記事にしたり、動画で話したりします。

※これも私の「自由」な意見です。つまり、聞いた人見た人がどう思うかも自由です。つまり、共感し合えそうなことや、全くそうでないところもあるでしょう。だからこそ対話は面白く、同時にどちらかに「正解」や「不正解」がないため、「論破」や「説得」といったものは、意味がなく感じるし、少なくとも私は無関係でありたいです。「論破」や「説得」私は誰かを変えたいという気もなければ、誰かに変えられるのも心底嫌です(笑)。このあたりは政治や社会問題に従事していると、考えさせられることが多いです。自分が正義だと思って人や社会を変えようとする瞬間、もうそれは根本の部分でつまらないしょうもないものになっている気がしてしまうのです。

ということで今後も色々書きたいこと、話したいことは山ほどあります。天秤座であるためか、0歳から話し始めるほど自我や言語に貪欲であるためか、左脳が発達し過ぎているためか、早稲田大学文学部で教授に書き方を教わったためか(学歴の概念にこだわっているのでなく、私の中で書くことにおいて明らかに影響があったことです。良い悪いはありません、単にそういう歴史が、事実があるだけ。)伝えたいことは山ほどあり、言葉は溢出(いっしゅつ。あふれ出ること)してきます。今後YouTubeも本格的に始めたいと思います。皆さんに自由あれ。

「親」という漢字のイメージ図を、さっと描いてみました。「木」の上に「立」って「見」る、「親」の役割はそのくらいで良いかもしれません。桜の季節ですね。

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