早大5年目の僕が感じる教育の問題

 前回中学の友人と再会したことで人生についてさらに考えることとなったが、その中で後述するとした教育の格差の問題を少し話してみたい。これから書く内容は、あくまで僕が体験し、感じたことだ。

 

 まず、少し僕自身のことを話したい。僕は元々真面目な人間ではなかったから、中学時代、学校の成績は悪かった。最後の成績は内申点が26だった。5段階評価で9教科の成績がこれだから、オール3もないということになる。数学は特にダメで、学力も低かった。数学ほどでないにしろ理科もできなかった。思い切りの文系である。内申点が低いということは、都立ではいける高校が限られるということ。本番で良い点を取るとしても、数学と理科も受けなければならない。そこで僕は、英国社の三科目で済む私立高校を受験したのだ。英語と社会は当時は少し得意だったこともあり、一般受験を考えていたが、その前に受けた推薦受験であっさり受かってしまい、高校受験では苦労しなかった。

 

 当時はそこまで意識していなかったが、こういったところに教育の格差を感じる。昨日も書いたが、僕が通っていた中学校は、教育水準の低い区の中で更に低い学校であり、貧困層の家庭も多いという。 僕も当時中学三年の時、三者面談で先生に「二つ返事で私立に行って良いなんて言われる家庭ないぞ?」と言われたのを覚えている。 僕は今NPO法人で同区の中学生の勉強のサポートをしているが、やはり経済的に厳しい家庭の子も多い。シングルマザーでワンルームの狭い家。勉強する部屋や机などない子、共働きで親が帰るのが遅く、食事の時間が不定期な子、お金がなく修学旅行の積立金がつくれない子、さまざまだ。一番の問題は、そういう子は自信がなく、勉強における成功体験がない場合が多いこと。この状態では勉強は苦行でしかないし、全く身にならない。

 

 この問題は現在の教育のシステムの問題でもある。一律に先生が一方的に話すのを聞き、ノートを正確に書写する。学校は書記でも育てたいのか?と思うほど。分かる生徒だけ手を上げ、答える。分からない時指名されると恥をかく。テストでは暗記中心の問題で細かく○×をつけられる。これでは何のために勉強するのか分からないし、やる気をなくすのも当然だ。また最近よくある批判に、学校は正解が一つだと教えすぎている、というものがある。これは確かに良くない教えになることがあるし、危険を孕んでいる。数学などの答えが一つしかないものは別だが、それでも式のやり方、書き方や考え方まで学校は強制してくる。模範解答と違うやり方でも良いじゃないか。国語の問題でもそうだ。選択肢の中から内容に近いものを探すのではなく、自分はどう読みどう考えたか、そしてそれをどう言語化するのかが重要なプロセスなのではないだろうか。表現の仕方に正解はないが、巧拙はやはり存在する。それを育てていくことが、国語力を上げるのではないかと思う。これは大学に入った際に、レポートを書いたりプレゼンをしたりするのにとても役立つ。従来の国語の教え方やテストでは、そういった自分から発信し人に納得してもらえるような言語化する力を養うことはできないだろう。社会でも事象をただ暗記するだけでは何の意味があるか分からない。やはり温故知新という言葉もあるように、歴史を見た上で今に役立つことを考えていく必要がある。

  

 このように、教科毎に問題を上げてもキリがないほどだが、根幹の問題は同じだ。つまり一方的受動的暗記的が主流であるということ。これを変えるのは容易ではないだろうが、各人が気付き目覚めればきっと少しずつでも変わっていくだろう。そして経済面だ。これに関しては昨日も少し書いたが、今の誰かの借金であるお金ではなく、政府が発行した借金ではないお金ができれば問題はなくなるのではないだろうか。

 この大西つねきさんの動画を見てもらいたい。

 彼は現在れいわ新撰組に所属している政治家だか、所属する前から彼は一人でも戦う意識で動画を投稿していた。政府通貨の発行は簡単にいくものではないが、これができれば消費税もいらないし今のサラリーマンの手取りが倍くらいになる可能性もあるとか。夢がある話ではないか?これは中々にわかには信じがたい話かもしれないが、各人が考え信じることで変わっていくだろう。また今度詳述したい。

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